エンジニアのキャリア

未経験だった私が5ヶ月でエンジニアとして職を得るまでにやったこと

現在の私の開発環境

今日は、よく色んな方から質問を頂く、どのようにして私が海外で、全くの未経験から、オーストラリアの企業でフルタイムで働くエンジニアとなったのかについて紹介します。

 

ちなみに私は、プログラミングの勉強を開始するまでは、日本で外航海運会社(船会社とも言われます)に3年間、シドニーで日系の総合商社に1年間、営業職として仕事をしておりました。趣味でもプログラミングしたことがなく、全くのド素人からのスタートです。

新入社員時代に乗った船新入社員時代に乗った船

 

アメリカ発のプログラミングスクール、General Assemblyでお勉強(3ヶ月間)

まずは、当時、採用側である企業、リクルーターからとても評判のよかったプログラミングスクールである、General Assembly, Sydneyに入学しました。当然ながら、日本人は一人。クラスメイトは、元軍人、大学生、フランスの元警官、フリーランスのデザイナー等、多種多様で面白かったです。

プログラミングはど素人だったため、毎日予習が必要でした。その際には、ドットインストールという学習サイトにお世話になりました。この当時は、素人過ぎて、学習の入りから英語で理解しようとしても無理でした。笑 毎回、該当分野を2サイクルぐらいし、授業に挑んでいました。当時は、土曜、日曜、朝晩関係なく、まさしくプログラミング漬けの生活を送っていました。

毎日お手製のお弁当を持参し、修行の三ヶ月間を無事に終了し、いよいよ就職活動です。

 

エンジニアとしての初の就職活動開始(2ヶ月間)

自分のポートフォリオサイトに、授業で作成したいくつかのサイトをのせました。履歴書は、学校の就職アドバイザー的な方がチェックしてくれました。あとはひたすら、アプライしまくりました。おそらくトータルで50社ぐらいです。

シドニーのテックイベントにも顔をだし、そこで知り合ったリクルーター、スタートアップの社長経由で、いくつか面接までこじつけました。

当時は、シドニーでの英語での就職活動に慣れていませんでしたので、リクルーターから電話がかかって来ても、少々ビビっていました。笑 しかし、人間は慣れます。一ヶ月ぐらいすると、リクルーターもだいたい同じことを聞いてくるので、上手く自分の言いたいことを言えるようになり、ビビることもなくなりました。

 

複数内定獲得!

最初の2ヶ月間は、電話でのスクリーニングの時点でアウトとなるケースが多かったです。まあ、英語も微妙だし、未経験だし、そりゃそうだろうなと、今思い返せば納得します。

それでも、とにかく就職活動を継続していると、就職活動開始から二ヶ月が経とうしている時に、同じようなタイミングで二社から内定をいただきました。

一つは、JQuery, Ruby on Rails等のテックスタック。うーん。インドにいるオフショアの開発者が作ったサイトを、二人で管理し、機能追加、バグなどの修正をしていくポジション。フルタイム、年収500万。給料は、良すぎるだろ!!!と思いました。

もう一方は、無給の一ヶ月のインターンです。新規プロジェクト案件であり、最新のテックスタックでサイトをリニューアルするという仕事でした。テックスタックは、React, CssinJs, Node, Firebaseとモダンすぎる申し分ない内容でした。しかし、無給。。。

 

結局、今後のキャリアのことを考え、無給のインターンの方のオファーを受けました。この決断が、後のキャリアに大きなプラスとなりました。

 

1ヶ月無給のインターン時代

この頃は、今と比べると結構苦しい時期ではあったと思います。1ヵ月後にまた就職活動を再開しなければならないかもしれないというプレッシャーの中で、毎日の業務をこなしていました。とは言っても、日本での大企業での新入社員時代を経験していた後でしたので、それと比べるとぬるかったです。笑

またまた、毎日お弁当持参でプログラミング修行です。リードディベロッパーに気に入ってもらえたのか、彼から、CTOに給料のことも相談してあげるよ!との、暖かい言葉を頂き少し安心する。

 

3ヶ月の契約更新!時給25ドルの見習い時代(契約社員)

一ヶ月後、頑張りが認められ、遂にプログラマーとして初の給料を得ることができました!まだまだ給料自体は安かったですが、チームに恵まれ、楽しく開発した記憶があります。

 

6ヶ月の契約更新!時給35ドルのコントラクト時代(契約社員)

このタイミングで、シニアの開発者が会社を去りました。オーストラリアの会社では人の入れ替わりが本当に激しいです。スタートアップは特に。私の技術力はさほど変わってないですが、新たに6ヶ月の契約かつ、給料をあげてくれました。この期待にこたえようと、とにかく必死に仕事していました。

 

6ヶ月契約終了後、遂にフルタイムのSoftware developerのオファーを獲得し転職

同じコーワーキングスペースに入っていた別の会社のフランス人 CTO に、朝の8時頃にコーヒーマシーンの前で、よく遭遇していました。8時だと誰もいませんので、彼も私のことを覚えててくれました。

例のコーヒーマシーンがあるスペース例のコーヒーマシーンがあるスペース

 

ある日、こんなポジションあるけどどう?っとオファー頂けました!笑 ラフ過ぎます。決断早すぎます。翌日、1時間もかからない基礎的なJavaScriptクイズをgithub経由で提出し、正式オファー決定でした。笑 年俸700万円です。朝早く出社しておいてよかったと改めて感じた瞬間です。

 

まとめ

正直、ここまでスムーズに行くとは思いませんでしたが、正しい方向性で努力できていたのかな?と思います。海外での転職、エンジニアへのキャリアチェンジは、本当に何が起こるかわからないものです。

もしかしたら、シドニーでは至って普通の転職プロセスだったのかもしれません。

その後も転職して、現在はフロントエンドエンジニアとしてアパレル系スタートアップで仕事をしています。

皆様のキャリアチェンジ、海外就職の何かの参考になれば幸いです。

 

 

ABOUT ME
Wata
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30歳で営業職からエンジニアに転職した者のブログです。 大手海運業→総合商社→ソフトウエアエンジン。現在は、オーストラリアにてエンジニアとして働いています。 未経験からのエンジニアへの転職、フロントエンド周りの技術、エンジニアの仕事環境、趣味の旅行、JAL修行、オーストラリアの情報などを発信しています!

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